災害や大きな地震が起きたとき、誰もが身を寄せる避難所。
そこは一瞬にして何百人もの人が共同生活を送る場所へと変わります。日常とはあまりにも違う環境の中で、私たちは誰もが少なからず混乱し、不安を抱えるものです。
しかし、その避難所という空間が、高齢の方や障害のある方、持病のある方々にとって、どれほど過酷な場所になり得るか。現場を知る人間だからこそ、綺麗ごとではないリアルな視点で、避難所という場所のあり方を考えてみたいと思います。
「みんな同じ」が、誰かを追い詰めるという現実
支援を行う側や、混乱の中にいる避難所運営の現場では、つい「全員に同じものを、同じように」という一律の平等さを求めてしまいがちです。食料の配給が始まったとき、全員に全く同じお弁当が配られる。それは一見、公平で正しいことのように思えるかもしれません。
ですが、そのお弁当の中身が、下肢の筋力や噛む力が弱くなった高齢の方にとって、硬すぎて食べられないものだったらどうでしょうか。食物アレルギーを持つ子どもや、特定の持病で塩分制限がある方にとって、体を壊す原因になってしまうこともあります。
避難所の生活において、本当に必要なのは「全員に同じものを提供する一律の平等」ではなく、その人の身体状況に合わせた「個別性の配慮」です。
お粥を用意したり、とろみをつけたり、アレルギー対応の食事を確保する。それは決して特別扱いではなく、誰もが命を繋ぐための当たり前の対応です。
音声と絵、文字。情報はいくつものルートで伝える
避難所の中では、刻一刻と変わる生活情報や支援物資の案内が、ホワイトボードや壁の貼り紙で掲示されます。
しかし、視覚に障害がある方や、認知症で行き先が分からなくなってしまっている方、あるいは文字を読むのが難しい外国人の方にとって、漢字で書かれた貼り紙は存在しないのと同じになってしまいます。
情報を届けるときは、文字だけに頼らないことが大切です。
大切な案内はメガホンやアナウンスによる「音声」でも伝えること。そして、トイレや救護所などの場所は、直感的に目で見て分かる「ピクトグラム(絵文字)」を取り入れること。
情報は、いくつものルートを用意して初めて、本当に困っている人の元へと届きます。
衛生と安全。足元から崩れていく健康
避難所という限られた空間の中で、感染症の拡大を防ぎ、生活の質を保つためには、足元の環境も無視できません。
二次避難を意識するあまり、土足のまま床で過ごしてしまうと、床面の砂埃やウイルスが部屋中に飛散し、胃腸炎などの集団感染のリスクが急速に高まります。原則として靴を脱いで過ごす環境を作ることは、床に近い場所で寝起きをする被災者の健康を守るための、ごく基本的な防衛策です。
また、トイレの環境も死活問題になります。足腰が弱っている高齢の方や車椅子を利用する方にとって、和式トイレでの立ち座りは転倒のリスクが非常に高く、姿勢を保つだけでも体力を激しく消耗します。洋式便器や簡易便座の配備は、単なる便利さのためではなく、安全に排泄を済ませるための必須条件です。
区切られたスペースと、その先にあるリスク
プライバシーを守るために、段ボールのパーテーションや間仕切りで個人のスペースを区切ることは、心の安定のためにとても重要です。
しかし、周りに気兼ねするあまり、その狭い区画の中に一日中じっと閉じこもってしまうと、別のリスクが出てきます。
体を動かさないことで急激に筋力が衰える「廃用症候群」や、同じ姿勢を続けることで血栓ができる「エコノミークラス症候群(深部静脈血栓症)」です。ただでさえ環境の変化で水分補給を控えがちになる避難所生活では、このリスクが跳ね上がります。
プライバシーは守りつつも、生活の範囲を狭い空間だけに限定してしまわないこと。適度な運動を促したり、声をかけ合って外の空気を吸いに行くような関わりが、見えないところで人の健康を救うことに繋がります。
国や行政のガイドラインには多くの正しいことが書かれていますが、それを現場で生きた配慮として動かすのは、いつだって人の目と細やかな気づきです。
非常時だからこそ、一律のルールで縛るのではなく、一人ひとりの「いつもの当たり前」にどこまで寄り添えるか。その視点を持つことが、避難所という場所を少しでも安全な場所へと変えていくのだと思います。
